ちくしょう、てめえら、良く聞きやがれ。
2005年11月27日『幸せはどこにあるんですか?』だと…?
残念だが、そんな事を言ってるうちは、永遠に幸せになることなんて出来ない。そういう事を言う奴は大抵(該当者以外は当然第三者と思って頂きたい)自分が幸せになれない事ばかり嘆いているが、一体他でもない自分以外の誰が自分を幸せに出来るんだ?
ましてや、他人から与えられる幸せを期待しているにも関わらず、自分がそれを与えられる事しか想像出来てないような貧弱な想像力しか持たない奴が、継続的な幸せを得る事は100%「不可能」と断言できるぜ。
いいか、面倒くさいから結論から言う。世の中はギブアンドテイクが初歩だ。得ようと思うなら、まず与えるんだよ。
x人のグループがいたとして、そのうちの全員が他人から与えられるものを期待したとしよう。各々は自分の利益ばかりを考え、常に利害を駆け引きを含む「交換」によって得る事しか考えられなくなってしまう。
殺伐とした世界だぜ。自分が与えられるものは最大限になることを期待し、他人に与えるものは(労力を軽減する事も利益換算)最小限にするのが理想になるんだからよ。相手に満たされたとしても、それは次に相手に「返済」しなければならないものだ。そんなものは幸せじゃない。
しかし、x人の内y人がものを与える事を考えたとしよう。そのy人がものを与えるのには誰が最もふさわしい?
答えは、y人の中の自分以外の誰かだ。yの誰かがx−yの部分にものを与えたとしても、そいつはいつまでも尽くし続けるだけだ。幸せの定義はよく分からんが、報われない事を続ける事が幸せなのか?そいつはただのマゾだぜ。つまり、yグループにいる者だけが、少なくとも互いを豊かに出来る関係を築けるわけだ。
だから、そこの事を何も考えず、相手は自分が理想とする部分を持った人間である、という幻想を自分で作って、その人が自分を幸せにしてくれる、何て考えるのは、妄想も良い所。
それは相手との「関係」ではなく、妄想物語を相手との関係に当て嵌めて相手との関係の中ですら自分しか見れていない事になってないか?
恋愛は幸せにして貰うんじゃなくて、相手を幸せにする事なんだよ。
俺は今まで、周りの皆が「恋愛」をしている姿を見てきたが、残念ながら、温かく見守っていたいと思える恋愛はほとんどなかった。その大半がエゴの擦り付け合いの末に破綻し、ずる賢い方の人間はいつまでも満たされないまま、次々に新しい相手を求め、弱いほうの人間はいつまでも幻想にすがり付いて、とうに過ぎ去った相手がいつか振り向いてくれるという幻想を抱き続ける、という有様だった。
そいつらの気持ちをもう少し解釈してやる。
ずる賢い側の人間は何かしら人が憧れるアドバンテージを持った人間である事が多い(見てくれが良いとか、性格が“一見”良いとか、社会的地位とか)。「好みのタイプ」という言葉が俺には物凄く馬鹿らしい言葉に聞こえるが、それは要するに「私の妄想」だ。私の妄想に当てはまる、あるいは当てはまっているように振舞うのが上手な人間、それがずる賢い方の人間だ。
そいつらが自分の幸せしか考えない奴の場合、相手から奪った瞬間、もう喜びを感じなくなってしまうことが多い。
要するに相手から「得る」事が出来たのだから。大抵の場合、男は相手の体を奪う事が目的、女の場合は様々だが、強いて言うなら心を奪う事。これが終われば、もう相手は用済みだ。「得る」までは自分を楽しませてくれた物にも、飽きてしまったおもちゃのように興味がなくなってしまう。だから相手を捨てる。
大抵の奴は自分が『ずる賢い方』なんて烙印を押されたくないという思いから、自分自身の気持ちを偽るような嘘を自分にまでつく。
即ち、他に好きな人間が出来てしまった(要するに次の相手が欲しくなった)、本当はまだ好きな気持ちもあるが(まだ利用したいが)○○な事情で付き合うわけには行かない…etc。くだらん嘘ばかりだ。本当に好きなら、どんな理由があろうが付き合い続けるに決まってるだろーが。そうやって誤魔化し続け、何故か満たされる事のないまま、「自分に見合った」幸福を与えてくれる相手を探し続ける。「自分に見合う幸福」そんなものは気分の様にコロコロ変わるようなもんだから、いつまでも新しい相手を求める。自分を振り返る事はしない。
弱い方の奴は悲惨だ。自分が望んだものが得られる喜びに満ちており、いつまでも相手の気持ちが変わっている事に気付かないでいる。
悪く行くと付き合い始めた頃より、多くのものを相手に要求するようになる。そうなると「与えてる」側はウンザリして、あるいは飽きてしまって去っていく。
そして弱い奴がひどい事になるのはここからだ。
何故自分が振られたのか?そんな事を考えている。真実の答えは二つだ。相手がゲス野郎だったか(見る目がなかったか)、自分がクズ野郎になっていたか、だ。
にも拘らず、弱い奴は、どこまでも弱い。無い答えを必死に頭から振り絞る。自分の○○がいけなかった、悪い事が重なった、○○という奴のせいだ…etc。
相手に多くを求め過ぎた事を後悔して自省する事は、まだ分かる。
だが自分が自省すれば良いと思い込むことで、相手がクズ野郎だった事実から目を逸らす奴(←これが多い)、自分が悪かったにも拘らず逆恨みする奴(←こっちはまだ少ない)、とにかく現実に目を向けない奴が多い。
そしてズルズルといつまでも振られた事を引きずりながら、悲劇の主人公でいる事に満足しようとしている。
それで本当に良いなら愚痴なんて叩くなよ。大喜びすりゃ良いじゃん。やった!俺は悲劇の主人公になれた、ってな。嫌だから喚いているくせに何故気付かない?その状態が嫌だというなら、自ら変わる以外、方法は無いと言うのに。
これは特に弱い奴に言いたい事だが、人生で「弱い自分から目を逸らさずに生きる」事は、辛い作業だが成長に欠かせない。
弱い自分から目を逸らさずに生きるという事は、同時に残酷な現実も受け入れる、という事だ。本当の意味で心から受け入れられる事、それが強さ何じゃないのか。
今の時代、大半の奴は親から与えられたり、あるいは楽な努力で自分が望む事は叶えられて当たり前、と何処か思っている節があるように俺は感じる。自分が上手く行かないのは○○のせいだ、あるいは、上手く行かないなんておかしいと思っていやがる。だがな、そんなもんは全部、誰のせいでもなく紛れも無い現実なんだよ。弱い自分だから仕方ない、と思うんなら、その状態で満足しなきゃいけない。
挙句の果てには、自分から、くたばりたい何て思う奴もいる。だがな、どんなに自分が自分を追い詰めたつもりになっても、体は正直だ。
出来ればこうしたかった、こんな風になりたかった、そんな夢を人間は抱かずには居られない。それを追う事もしないまま、自分を追い詰めるなんて無駄な努力もいい所だ。そこまで自分を追い詰められる精神力があるなら、それをまともな方向に使えばかなり良い線いけると保証してやる。
なぜ夢から目を逸らす。それは逃げる事がただ、取り易い手段だったからじゃないのか。宇宙の摂理で地球が、地球の摂理で人間が誕生した。その人間の摂理が夢を追いたがっているんだぜ。それのどこが間違いなんだ?神様が居ようが居まいが、神様を作ろうが作るまいが、とにかくお前は今そこに居るんだよ。
残念だが、そんな事を言ってるうちは、永遠に幸せになることなんて出来ない。そういう事を言う奴は大抵(該当者以外は当然第三者と思って頂きたい)自分が幸せになれない事ばかり嘆いているが、一体他でもない自分以外の誰が自分を幸せに出来るんだ?
ましてや、他人から与えられる幸せを期待しているにも関わらず、自分がそれを与えられる事しか想像出来てないような貧弱な想像力しか持たない奴が、継続的な幸せを得る事は100%「不可能」と断言できるぜ。
いいか、面倒くさいから結論から言う。世の中はギブアンドテイクが初歩だ。得ようと思うなら、まず与えるんだよ。
x人のグループがいたとして、そのうちの全員が他人から与えられるものを期待したとしよう。各々は自分の利益ばかりを考え、常に利害を駆け引きを含む「交換」によって得る事しか考えられなくなってしまう。
殺伐とした世界だぜ。自分が与えられるものは最大限になることを期待し、他人に与えるものは(労力を軽減する事も利益換算)最小限にするのが理想になるんだからよ。相手に満たされたとしても、それは次に相手に「返済」しなければならないものだ。そんなものは幸せじゃない。
しかし、x人の内y人がものを与える事を考えたとしよう。そのy人がものを与えるのには誰が最もふさわしい?
答えは、y人の中の自分以外の誰かだ。yの誰かがx−yの部分にものを与えたとしても、そいつはいつまでも尽くし続けるだけだ。幸せの定義はよく分からんが、報われない事を続ける事が幸せなのか?そいつはただのマゾだぜ。つまり、yグループにいる者だけが、少なくとも互いを豊かに出来る関係を築けるわけだ。
だから、そこの事を何も考えず、相手は自分が理想とする部分を持った人間である、という幻想を自分で作って、その人が自分を幸せにしてくれる、何て考えるのは、妄想も良い所。
それは相手との「関係」ではなく、妄想物語を相手との関係に当て嵌めて相手との関係の中ですら自分しか見れていない事になってないか?
恋愛は幸せにして貰うんじゃなくて、相手を幸せにする事なんだよ。
俺は今まで、周りの皆が「恋愛」をしている姿を見てきたが、残念ながら、温かく見守っていたいと思える恋愛はほとんどなかった。その大半がエゴの擦り付け合いの末に破綻し、ずる賢い方の人間はいつまでも満たされないまま、次々に新しい相手を求め、弱いほうの人間はいつまでも幻想にすがり付いて、とうに過ぎ去った相手がいつか振り向いてくれるという幻想を抱き続ける、という有様だった。
そいつらの気持ちをもう少し解釈してやる。
ずる賢い側の人間は何かしら人が憧れるアドバンテージを持った人間である事が多い(見てくれが良いとか、性格が“一見”良いとか、社会的地位とか)。「好みのタイプ」という言葉が俺には物凄く馬鹿らしい言葉に聞こえるが、それは要するに「私の妄想」だ。私の妄想に当てはまる、あるいは当てはまっているように振舞うのが上手な人間、それがずる賢い方の人間だ。
そいつらが自分の幸せしか考えない奴の場合、相手から奪った瞬間、もう喜びを感じなくなってしまうことが多い。
要するに相手から「得る」事が出来たのだから。大抵の場合、男は相手の体を奪う事が目的、女の場合は様々だが、強いて言うなら心を奪う事。これが終われば、もう相手は用済みだ。「得る」までは自分を楽しませてくれた物にも、飽きてしまったおもちゃのように興味がなくなってしまう。だから相手を捨てる。
大抵の奴は自分が『ずる賢い方』なんて烙印を押されたくないという思いから、自分自身の気持ちを偽るような嘘を自分にまでつく。
即ち、他に好きな人間が出来てしまった(要するに次の相手が欲しくなった)、本当はまだ好きな気持ちもあるが(まだ利用したいが)○○な事情で付き合うわけには行かない…etc。くだらん嘘ばかりだ。本当に好きなら、どんな理由があろうが付き合い続けるに決まってるだろーが。そうやって誤魔化し続け、何故か満たされる事のないまま、「自分に見合った」幸福を与えてくれる相手を探し続ける。「自分に見合う幸福」そんなものは気分の様にコロコロ変わるようなもんだから、いつまでも新しい相手を求める。自分を振り返る事はしない。
弱い方の奴は悲惨だ。自分が望んだものが得られる喜びに満ちており、いつまでも相手の気持ちが変わっている事に気付かないでいる。
悪く行くと付き合い始めた頃より、多くのものを相手に要求するようになる。そうなると「与えてる」側はウンザリして、あるいは飽きてしまって去っていく。
そして弱い奴がひどい事になるのはここからだ。
何故自分が振られたのか?そんな事を考えている。真実の答えは二つだ。相手がゲス野郎だったか(見る目がなかったか)、自分がクズ野郎になっていたか、だ。
にも拘らず、弱い奴は、どこまでも弱い。無い答えを必死に頭から振り絞る。自分の○○がいけなかった、悪い事が重なった、○○という奴のせいだ…etc。
相手に多くを求め過ぎた事を後悔して自省する事は、まだ分かる。
だが自分が自省すれば良いと思い込むことで、相手がクズ野郎だった事実から目を逸らす奴(←これが多い)、自分が悪かったにも拘らず逆恨みする奴(←こっちはまだ少ない)、とにかく現実に目を向けない奴が多い。
そしてズルズルといつまでも振られた事を引きずりながら、悲劇の主人公でいる事に満足しようとしている。
それで本当に良いなら愚痴なんて叩くなよ。大喜びすりゃ良いじゃん。やった!俺は悲劇の主人公になれた、ってな。嫌だから喚いているくせに何故気付かない?その状態が嫌だというなら、自ら変わる以外、方法は無いと言うのに。
これは特に弱い奴に言いたい事だが、人生で「弱い自分から目を逸らさずに生きる」事は、辛い作業だが成長に欠かせない。
弱い自分から目を逸らさずに生きるという事は、同時に残酷な現実も受け入れる、という事だ。本当の意味で心から受け入れられる事、それが強さ何じゃないのか。
今の時代、大半の奴は親から与えられたり、あるいは楽な努力で自分が望む事は叶えられて当たり前、と何処か思っている節があるように俺は感じる。自分が上手く行かないのは○○のせいだ、あるいは、上手く行かないなんておかしいと思っていやがる。だがな、そんなもんは全部、誰のせいでもなく紛れも無い現実なんだよ。弱い自分だから仕方ない、と思うんなら、その状態で満足しなきゃいけない。
挙句の果てには、自分から、くたばりたい何て思う奴もいる。だがな、どんなに自分が自分を追い詰めたつもりになっても、体は正直だ。
出来ればこうしたかった、こんな風になりたかった、そんな夢を人間は抱かずには居られない。それを追う事もしないまま、自分を追い詰めるなんて無駄な努力もいい所だ。そこまで自分を追い詰められる精神力があるなら、それをまともな方向に使えばかなり良い線いけると保証してやる。
なぜ夢から目を逸らす。それは逃げる事がただ、取り易い手段だったからじゃないのか。宇宙の摂理で地球が、地球の摂理で人間が誕生した。その人間の摂理が夢を追いたがっているんだぜ。それのどこが間違いなんだ?神様が居ようが居まいが、神様を作ろうが作るまいが、とにかくお前は今そこに居るんだよ。
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