半年ぶりの更新のタイトルが容赦なくコレですか、と我ながら驚嘆しているが、今回は勝手に恋愛についてのリクエストに答えてるから超偉そう。だが誰にも文句は言わせん。勝手に始めるっ。卒論から逃れる為にも是非始める。
『幸せはどこにあるんですか?』だと…?
残念だが、そんな事を言ってるうちは、永遠に幸せになることなんて出来ない。そういう事を言う奴は大抵(該当者以外は当然第三者と思って頂きたい)自分が幸せになれない事ばかり嘆いているが、一体他でもない自分以外の誰が自分を幸せに出来るんだ?
ましてや、他人から与えられる幸せを期待しているにも関わらず、自分がそれを与えられる事しか想像出来てないような貧弱な想像力しか持たない奴が、継続的な幸せを得る事は100%「不可能」と断言できるぜ。

いいか、面倒くさいから結論から言う。世の中はギブアンドテイクが初歩だ。得ようと思うなら、まず与えるんだよ。

x人のグループがいたとして、そのうちの全員が他人から与えられるものを期待したとしよう。各々は自分の利益ばかりを考え、常に利害を駆け引きを含む「交換」によって得る事しか考えられなくなってしまう。
殺伐とした世界だぜ。自分が与えられるものは最大限になることを期待し、他人に与えるものは(労力を軽減する事も利益換算)最小限にするのが理想になるんだからよ。相手に満たされたとしても、それは次に相手に「返済」しなければならないものだ。そんなものは幸せじゃない。
しかし、x人の内y人がものを与える事を考えたとしよう。そのy人がものを与えるのには誰が最もふさわしい?
答えは、y人の中の自分以外の誰かだ。yの誰かがx−yの部分にものを与えたとしても、そいつはいつまでも尽くし続けるだけだ。幸せの定義はよく分からんが、報われない事を続ける事が幸せなのか?そいつはただのマゾだぜ。つまり、yグループにいる者だけが、少なくとも互いを豊かに出来る関係を築けるわけだ。
だから、そこの事を何も考えず、相手は自分が理想とする部分を持った人間である、という幻想を自分で作って、その人が自分を幸せにしてくれる、何て考えるのは、妄想も良い所。
それは相手との「関係」ではなく、妄想物語を相手との関係に当て嵌めて相手との関係の中ですら自分しか見れていない事になってないか?
恋愛は幸せにして貰うんじゃなくて、相手を幸せにする事なんだよ。

俺は今まで、周りの皆が「恋愛」をしている姿を見てきたが、残念ながら、温かく見守っていたいと思える恋愛はほとんどなかった。その大半がエゴの擦り付け合いの末に破綻し、ずる賢い方の人間はいつまでも満たされないまま、次々に新しい相手を求め、弱いほうの人間はいつまでも幻想にすがり付いて、とうに過ぎ去った相手がいつか振り向いてくれるという幻想を抱き続ける、という有様だった。

そいつらの気持ちをもう少し解釈してやる。
ずる賢い側の人間は何かしら人が憧れるアドバンテージを持った人間である事が多い(見てくれが良いとか、性格が“一見”良いとか、社会的地位とか)。「好みのタイプ」という言葉が俺には物凄く馬鹿らしい言葉に聞こえるが、それは要するに「私の妄想」だ。私の妄想に当てはまる、あるいは当てはまっているように振舞うのが上手な人間、それがずる賢い方の人間だ。
そいつらが自分の幸せしか考えない奴の場合、相手から奪った瞬間、もう喜びを感じなくなってしまうことが多い。
要するに相手から「得る」事が出来たのだから。大抵の場合、男は相手の体を奪う事が目的、女の場合は様々だが、強いて言うなら心を奪う事。これが終われば、もう相手は用済みだ。「得る」までは自分を楽しませてくれた物にも、飽きてしまったおもちゃのように興味がなくなってしまう。だから相手を捨てる。
大抵の奴は自分が『ずる賢い方』なんて烙印を押されたくないという思いから、自分自身の気持ちを偽るような嘘を自分にまでつく。
即ち、他に好きな人間が出来てしまった(要するに次の相手が欲しくなった)、本当はまだ好きな気持ちもあるが(まだ利用したいが)○○な事情で付き合うわけには行かない…etc。くだらん嘘ばかりだ。本当に好きなら、どんな理由があろうが付き合い続けるに決まってるだろーが。そうやって誤魔化し続け、何故か満たされる事のないまま、「自分に見合った」幸福を与えてくれる相手を探し続ける。「自分に見合う幸福」そんなものは気分の様にコロコロ変わるようなもんだから、いつまでも新しい相手を求める。自分を振り返る事はしない。

弱い方の奴は悲惨だ。自分が望んだものが得られる喜びに満ちており、いつまでも相手の気持ちが変わっている事に気付かないでいる。
悪く行くと付き合い始めた頃より、多くのものを相手に要求するようになる。そうなると「与えてる」側はウンザリして、あるいは飽きてしまって去っていく。
そして弱い奴がひどい事になるのはここからだ。
何故自分が振られたのか?そんな事を考えている。真実の答えは二つだ。相手がゲス野郎だったか(見る目がなかったか)、自分がクズ野郎になっていたか、だ。
にも拘らず、弱い奴は、どこまでも弱い。無い答えを必死に頭から振り絞る。自分の○○がいけなかった、悪い事が重なった、○○という奴のせいだ…etc。
相手に多くを求め過ぎた事を後悔して自省する事は、まだ分かる。
だが自分が自省すれば良いと思い込むことで、相手がクズ野郎だった事実から目を逸らす奴(←これが多い)、自分が悪かったにも拘らず逆恨みする奴(←こっちはまだ少ない)、とにかく現実に目を向けない奴が多い。
そしてズルズルといつまでも振られた事を引きずりながら、悲劇の主人公でいる事に満足しようとしている。
それで本当に良いなら愚痴なんて叩くなよ。大喜びすりゃ良いじゃん。やった!俺は悲劇の主人公になれた、ってな。嫌だから喚いているくせに何故気付かない?その状態が嫌だというなら、自ら変わる以外、方法は無いと言うのに。

これは特に弱い奴に言いたい事だが、人生で「弱い自分から目を逸らさずに生きる」事は、辛い作業だが成長に欠かせない。
弱い自分から目を逸らさずに生きるという事は、同時に残酷な現実も受け入れる、という事だ。本当の意味で心から受け入れられる事、それが強さ何じゃないのか。
今の時代、大半の奴は親から与えられたり、あるいは楽な努力で自分が望む事は叶えられて当たり前、と何処か思っている節があるように俺は感じる。自分が上手く行かないのは○○のせいだ、あるいは、上手く行かないなんておかしいと思っていやがる。だがな、そんなもんは全部、誰のせいでもなく紛れも無い現実なんだよ。弱い自分だから仕方ない、と思うんなら、その状態で満足しなきゃいけない。

挙句の果てには、自分から、くたばりたい何て思う奴もいる。だがな、どんなに自分が自分を追い詰めたつもりになっても、体は正直だ。
出来ればこうしたかった、こんな風になりたかった、そんな夢を人間は抱かずには居られない。それを追う事もしないまま、自分を追い詰めるなんて無駄な努力もいい所だ。そこまで自分を追い詰められる精神力があるなら、それをまともな方向に使えばかなり良い線いけると保証してやる。
なぜ夢から目を逸らす。それは逃げる事がただ、取り易い手段だったからじゃないのか。宇宙の摂理で地球が、地球の摂理で人間が誕生した。その人間の摂理が夢を追いたがっているんだぜ。それのどこが間違いなんだ?神様が居ようが居まいが、神様を作ろうが作るまいが、とにかくお前は今そこに居るんだよ。
話が随分逸れたから恋愛の方に戻すが、とにかく俺が言いたい事は、幸福な恋愛をしたいなら
?相手を選べ。?基本は、相手に与えろ。?許し合える関係を築け。という事だ。
?は大前提だ。クズ野郎を自分の幻想で選んでしまった場合、あるいは相手に騙されて、相手を理想の人間だと思いこまされた場合(俺から見ればどちらも同じく、見る目が無かったという事だが)、その恋愛は程無く破綻する。継続は最初から不可能。せいぜい相手が望む物(体or心)を与えないよう、気を使う事くらいが対策だが、破綻は時間の問題だ。どんなにハンサムだろうが、セクシーだろうが、センスが良かろうが悪かろうが、普段優しかろうが、自分を大事に思わない人間を選んで幸せになる事なんて出来るはずが無い。
?も言うまでも無い。自分が与えないのに相手から与えられる事を望むなど、有り得ない。これは要するに相手から見た?になるな、という事だ。相手を幸せにしたい、と相手を思う気持ちが無ければ、それは空しいし、理想的な恋愛とは言いがたい。自分が幸せにしたいと思っても、相手がそう思ってないまま関係が続いているなら、要するに自分は利用されている、と考えたほうが良い。
?が一番長続きするコツだと俺は思う。要するに恋愛も人と人の関係なんだから、相手を理解しない事には続かない。人は違いを持っているし、それを魅力と思う「好き」という感情は、勘違いで無ければなかなか素敵な事だ。そう思い合う事で、お互いを尊敬できる。だが、大半の「違い」は認められない事だったりする。ましてや二人で居ようとすればするほど、その違いは邪魔になる。
…だが恋愛の真の醍醐味とは、その違いを認める事にあるんじゃないのか?違いを認めたくないなら、他人に憧れる必要も無い。そもそも付き合う必要も無い。自分一人で満足していれば良いだけの事のはずだ。そう思わないからこそ、付き合ってるんじゃないのか?それを気に入らない部分だけは許さないなんて、虫が好すぎる話だぜ。相手に自分の考え方を強要してしまうというのは、ずる賢い奴と同じくただ相手を得たい、相手を思い通りにさせたい、という事ではないのか?

まず、相手を理解しようとする事、そして自分がどう考えているか、を伝える事。その作業が丁寧であればある程、二人は分かり合えるし、「分かり合おうとする」はずだ。俺はこの事こそが、幸福な関係を続けるために最も必要な条件だと考える。
分かり合えればきっと自分も成長するし、相手も成長できる。尊敬しあう、という姿勢を崩す事も無い。まず恋人である前に、一人の人間として相手を尊敬できるかどうか、が良い関係を保つ上で大事だ。
それが「質の高い」相手を求める事に繋がる。誠意があるとか、優先順位をわきまえているとか、全て相手の「質の高さ」になってくる。そして当然自分も質の高い人間でいるように心がけなければいけない。それから相手と尊敬し会えるような、認め合えるような関係が築ければ、それは幸福な日々が過ごせるだろうよ。

ただ現実的には(ここまで書いといてなんだが)上に書いたような理想には成り難いだろう。恋愛を続けるという事は、恋愛を終わらせることより大変なことだ。
勿論、互いに想い合える幸せな時間もあるが、二人の関係の中では惨めな現実の自分と理想のギャップに絶え間なく晒され、忍耐や努力だって必要になってくる。そして何より大変な事は、それらに継続性を求められる。

ただ最初から質の高い人間はいないし、若ければ若いほど経験も少なく、人間的に出来ていない場合が多い。それは当然、(自分を含めた)どの人間にも当てはまる。

だから最初から質が高い人間になろう、とまでは考えなくて良い。ただ、相手の事を理解しようとか、自分の事を分かって貰うためにどうすれば良いだろうとか、人間的に最低のクズ野郎にはならないよう気を付けようとか、それ位の事だけ意識すれば良い。きっとそれだけでも全然結果は違ってくる。
特に恋愛に関しては、盲目的なまでにエゴイスト化する奴が多いからな。そんな当たり前の意識があるか無いかという事だけでも、後々途方も無い位、でけー違いになってくるんだよ。それが俺が今回最も言いたい事だよ。
エゴイスト同士の駆け引きも、恋として成立しうる、と実は俺は思っているが、それは飽くまで一時的な関係としてしか成り立たないと思う。近づきすぎれば破綻するし、常にシーソーゲーム。時間がそれを更に破綻の方向に追いやるだろう。互いに破綻を恐れない仲ならそんな関係もありだろう。
だが、それは俺に愚痴を言わないという前提を作ってからやってくれ。
祝☆マスターグレード・アッガイ発売決定!
〜俺達が好きで好きでたまらないアッガイが、定価4200円(高っ!)で発売決定〜
と言う訳で今日は、のっけから手加減無しのオタク話を展開する事に決定。んで、フランキーから託されたゲェムバトムに答えるの巻。

■Q1.コンピュータに入ってるゲームファイルの容量
測った事が無いから分からん。が、確かに言える事は僕のマシン≒ゲーム機。

■Q2.今進行中のテレビゲーム
太鼓ゲーム。後、鉄拳5。最近は金欠のため、ゲームに触れていない。
敢えて言うなら、未だかつてクリアした事が一度も無いスーパーマリオが僕の中で常に進行中。
 
■Q3.最後に買ったテレビゲーム
自宅にゲーム機が無いため、記憶に残っている限りでは、「スーパーワギャンランド3」が俺の中の新発売。ふっふっふ、マニアック過ぎて誰も付いて来れないだろうな!このど素人どもがっ。

…だがよく考えると、友達の家でやるためだけに、連邦VSジオン、ストリートファイター3rdと言った、マニア好みのゲームを買っていたことが判明。
嘘ついた、ごめん、みんな。

■Q4.よくプレイする、または特別な思い入れのある5つのゲーム

?超鋼戦記キカイオー
名前からして怪しいが、このマニアックゲーも知ってる奴は中々いるまい。ゲーセンで馬鹿やってる仲間達と遊んでた時代、このゲームでは僕はそう簡単に人に負けない自信があった。だが、物凄く切磋琢磨していたあの無駄な情熱を、他の方向に使っていれば、きっとこんな悲しい奴にならなくて良かっただろうのにな、とリアル反省。ちーん。

?パンチマニア"北斗の拳"
僕は昔からゲームセンターに置いてある体感ゲームが大好きな馬鹿男だが、このゲームには燃え尽きるほど打ち込んだ(爆)。このゲームでは実際にケンシロウに成りすましてパンチを繰り出す必要があり、かつ凄い勢いで殴らないと全然クリアできない為、畢竟するに、こっちも汗が出るほど頑張らないといけないシステムだった。よって強敵を打ち倒したときの爽快感たるや、言い知れぬものがあった。
僕はこのゲームをした当時、高校生か何かの身分で相当お金が無かった。だが、学生のみ一回タダでゲーム出来ると言う粋なゲーセンを知っていた為、そこまで(駅から遠いのにわざわざ「修行」と称して徒歩で)行って、一回だけやっては帰るというストイックなことを毎日のようにしていた。当時、其のゲーセンのバイトをやっていた店員さんが哀れに思ったのか、僕等に見本を見せてくれて、実はその人が修斗の選手だった事が後で分かり、物凄く感動した思い出がある。そうか!僕もこれを極めていけば、最後にはすごく強い男になれるんだ、と。
だが、其の感動も長くは続かなかった。
その後、梅田のとあるゲーセンで友人達と遊んでいた時の事、すごく太った見るからに遅そうな人が北斗の拳をプレイしようとしてたので、後ろから見ていたのだが、其のデブ(失礼)はパンチを繰り出さず、手をずっと前に置いたまま、左右に動かしてタッチするだけで、難なくゲームをクリアして行ってしまったのである。確かに筐体から飛び出してくるミットは一々打ち返さなくても、そのように触れれば、殴ったのと同じ効果になる。その原理を利用した上での作戦だった。
僕はとてもショックだった。自分の頭の回らなさもショックだったが、それ以上に夢を壊されてしまった悲しさがあった。皆、こうして汚い大人になっていくのかな。←(笑)
それ以来、僕はあまり北斗の拳をしなくなってしまった。

?ファイナルファンタジー11
このゲームははっきり言って面白かった。ネットゲームと言う異質な世界が自分にとって新鮮でもあり、作りこまれた世界がすごく楽しかった。

…だが敢えて言おう。
こんなものに夢中になっても何も残らないのだ。
ネットRPGは性質上、利用者に物凄い時間のプレイ数を要求するものが多い。お隣の国ではすっかり仮想空間世界の住人になりきってしまったお友達が、現実の世界に復帰できなくなった事件が報告されていたりするが、それと言うのも、この手のゲームは熱中したら本当にどこまでも時間を要求する作りになっている為である(ちなみに其れらのお友達が無理矢理、軍隊に入れられて矯正されている様子には驚いた。オタクが無理やり運動部に入れられてるような感じである。かなり画期的だが、滅茶苦茶過ぎる)。だから嵌ると学校なり何らかの強制力によって引き離されないと、どこまでも堕ちてゆく、嗚呼、堕ちてゆく。
メリハリつければ大丈夫、とか、そこまではやってない、とか言ってる奴がいるが…

「総プレイ時間から目を逸らすな。」
僕達はそれだけの時間(下手すると普通に一週間丸々、一睡もせずやってるような計算になる)を、何にもならない火が出る剣や雷が飛び出す盾なんかを、たった一つのゲームの中で買う為だけに費やしてるんだ。遊びが遊びで無くなってる事に気付けってんだ、このすっとこどっこい共。

?アシュラバスター
これは相当の猛者で無い限り、知らないはずのゲーム。いろんな意味で酷すぎた。20世紀最後に発売された闇の格闘ゲームである。糞ゲーと言うジャンルがあるが、これはそれすらも微妙なバランスで超越してしまっていた気がする。倒した相手が生き返るとか、意味が分からない。僕は全国に10人と満たないであろう、緑色の忍者・ロクロウタ使いだった。あのルックス、ベタな技、本気としか思えない言動の数々…ロクロウタ!ロクロウタ!ドラゴンボールもビックリの画期的システム、そしてスーファミ並みの映像のしょぼさ、そんなものを全部ひっくるめて現れたアシュラバスターは、嵐のごとく現れて、彗星の如く消え去って行ったのだった…。

?スマッシュTV
これ知ってる人、お願いですからリンク張って下さい。凄過ぎます、このゲーム。たぶんランキングとっても糞ゲー・ベスト10には絶対に入る。かつプレイした人には絶対的な悪夢として脳裏に刻まれているソフトに違いない。
僕はこの悪夢のソフトがたまたま演劇部の部室に転がっていた事から、手を付けてしまった次第であるが、今考えれば、あれも何かの陰謀だったのかもしれない。
とにかく凄い。明らかにプレイヤーを殺す事しか考えていない敵の量。始まるなり四方八方敵に囲まれていたりする事はザラ。自分の立っている所以外は、呼吸すら難しいと思われる位、画面に敵がひしめいている。…当然逃げ場など、無い。ボスなんて腕が千切れ飛ぼうが、首が吹き飛ぼうが全然お構いなし。むしろそれを喜びと感じながら、襲ってきているように見える。
僕は最近の三国無双たら何たら言う、勘違い虐殺ソフトですっかり三国無双の梟雄になりきってる若い奴らに言ってやりたい、
「ここに本当の三国無双がありますよ」
と。あんななまくらソフトで英雄気取りになってる奴らには、しっかりと罰を与えないといけないし、現実がどんなものか知らしめる必要があると思う。
こんな過激な発言を部内でも繰り返していた為か、いつの間にか僕達のサークルでは、後輩に対して与える裏の洗礼の一つとして、この地獄ソフトをプレイさせるという事が(勘違いの)習わしになってしまった…。。
僕が悪いんじゃないよね?悪いのはこの酷い内容で、人を惹きつけて止まないスマッシュTVだよね?

※大好きな糞ゲーとして本当は、「毒キノコを無理矢理取らせてくるマリオ2」や「ボスが気持ち悪すぎる魂斗羅スピリット」等も取り上げたかったけど、今回は我慢する。

■バトンを渡す5名
五人もネット上に知り合いがいない為、ゲームバトン絶命。
ゲームオーバー☆

…結局自分が糞ゲーみたいなオチを付けてしまった…。
バットマンビギンズの前評判が良いのを受けて、急に書きたくなってしまった。と言うわけで今日は映画。

アメコミヒーロー映画は大好きなんだが、こうした映画は「有り得ない」「くだらない」「馬鹿馬鹿しい」なんて評価を受ける事が往々にしてある。いきなり鼻息荒くなるが、そんな事を言う奴らは何も分かっちゃいない!アメコミ映画において、有り得ないとか、くだらないとか、そんな事は前提なのだ。
基本的に僕達のアメリカンヒーローのストーリーは決まっている。主人公を中心に大まかに言うと、
?何らかの不運に見舞われる。?凄い力を手に入れちゃう。あるいは生まれつき持っちゃってる。(→?と?は前後する事多々あり)?凄い力で大活躍。?理解者がいなくて孤独。?とりあえず強敵とすったもんだの大激闘。?勝利。
と、こんな感じだ。全部が大体こんな感じな上、有り得ない、くだらないが当たり前だとすると、ではアメコミ映画の一体どこが良いのか。

?〜?のストーリーで重視されているのは、鑑賞者にヒーローの心境を身近なものとして感じさせる、という部分である。(特に?の部分は、ビックリする程どの作品にも共通なのだが、それはこうしないとヒーローの辛い気持ちが味わえないからである。アメリカはワンマン・ヒーローが好きだから必然「孤独」になる。理解者はたいてい、恋人。)
だから、ぶっちゃけて言うと、見てる人がヒーローみたいな気分で映画館を出て来れたら、そのアメコミ映画は良い映画なのだ。男の子は大人になってもヒーローになりたいし、露骨なヒーローはあまり好きじゃない女の子の中にも、そういうのを認めてくれる子もいる訳で。話が多少似てようが、それはもう寅さんと一緒の安心感で、分かっててもハラハラドキドキ見てる訳である。これ書いてる時点で、アメコミ映画好きがマイノリティである事を認めているような気もしてきたが…いやいや、映画文化の貢献にはこういうジャンルが無いと寂しいに違いない。少なくともこう言うのが無いと、僕は寂しい!

だからそういう意味で、演出とかが呆れてしまうようなアメコミ映画にはファンが引いてしまう事だってあるし(悪いけどハルクは酷かった)、そうなってくるとその映画は、今度はB級好きの人達に愛でられる事になってしまう(笑)。

んで、アメコミ通ともなってくると最早、そのリアリティの部分は知ってるからどうでも良くなってきて、むしろそのヒーローがカッコいいかどうか、と言う部分が重視されてくる。更に悪役がカッコいいかどうか、と言うのも重要な部分だ。この辺りは、ガンダム好きなんかとも共通する部分ではなかろうか。
X-MENでの一番人気はサイクロップスよりウルヴァリンで、マッチョ信仰の無い日本では、同じDCコミックス出身でもスーパーマンより断然バットマン派が多い。また人気のある作品には、ヴェノム、カーネイジ(スパイダーマン)、ジョーカー、キャットウーマン(バットマン)、マグニートー(X-MEN)、と言ったカッコいい悪役が目白押しである。
だって主人公は自分なんだから、戦う相手もカッコ良くないと駄目だ。理屈はともあれ伝統的にも、マニアックな奴らが好む作品の敵役は例え雑魚であっても、ショッカー、ザク、ストームトルーパーとお洒落な奴らが大集合である。

話を戻すが、今度のバットマンが良い作品と言う事はきっとストーリーも渋くて、悪役も渡辺謙とか粒揃えで楽しませてくれるのだろう(僕の中では彼は永遠に御家人斬九郎様なのだが。余談ついでだが斬九郎は海外でやっても「samuraiドラマ」としてウケる気がしてならない)。
日本でも最近漫画ヒーローを実写化する試みが行われているが、大抵目も当てられない惨事になっている。豪華な映像を作る為の予算は投入しない割に、変にアクの強い監督ばかり立てて、ヒーローものを本気で「格好良く」見せようとしてるから、見てて痛いものばかりである。キャシャーンもそうだし、デビルマンは目も当てられなかった。あれはもうB級とかを軽く飛び級して、違う伝説になってしまっていた。仮面ライダーにしても、バットマンにしても分かり易いヒーローで良いのだ。今度また初代仮面ライダーのリメイク映画が作られるそうだが、どうか偉そうぶった監督が勘違い作品を作りませんように。心から願って止まない。皆、薄々気付いてると思うけど日本の大御所監督は変な人ばっかりである。例が極端で申し訳ないが、井筒監督の作品とかもB級の匂い漂い過ぎ。黒澤監督が癖があって偉大すぎたのが悪かったのかもしれない。今はビートたけし位のエンターテイメント感覚をもった人が撮る作品の方が、まだ良いのだ。

映画話は好きだが、長くなるので今日も嶋田久作氏については触れず、馬鹿映画つながりのアクション映画話に触れる。
アクションと言えば、ブルース・ウィリス、キアヌ・リーブス、トム・クルーズと言ったハリウッドを代表する俳優たちを世に送り出すのに大きな貢献をした作品が多い分野な訳だが、何故かこのヒーロー達、恩のあるアクション映画には早々に見切りをつけ、違う分野に行ってしまったりする。
これはやはり、大衆が求める娯楽としてアクション映画分野が定着していても、俳優としての力量をアクション映画では筋肉とか違う部分で示さなきゃいけないから、俳優たちもそういうイメージを固定化されるのを嫌って&自分の演じられる役柄の可能性を広げて見せるために、敢えてジャンルを変えたりするのだ。
今の所、この問題で悩んでるのはスパイダーマンのトビー・マグワイア、ジェームズ・ボンドのピアース・ブロスナン辺りで、ピアース・ブロスナンはボンド役を降りる話が濃厚らしい。はっきり言って二人とも演技力は素晴らしいから、ピアースの話はさもありなんである。日本だと仮面ライダークウガから見事、日本俳優の顔として活躍するにまで至ったオダギリジョー辺りが当たるだろうか。オダギリジョーはクウガの時から応援してるんだけどなあ…ちょっと最近の売れっ子ぶりは、古いファンとしては嬉しいような寂しいような複雑な気分だ。

そしてそんな話からは外れて超然とアクションに挑み続ける漢達もいる訳で。そいつらはでっかいアジアからやってくる。ジャッキーは僕の中の神だから、この場では述べない。あの人はこれからもジャッキーだ。ブルース・リーに関しても故人だし、彼はジークンドーとか立派に遺す物を遺しているから、何も言う事は無い。
突っ込みたいのはお前だよ、ジェット・リー。(ファンの方、スミマセン。本当は僕も彼が好きなんですが。)こいつは凄い。何が凄いって、まずチビだ。ハリウッドの俳優と競演したりしてるが、普通に映画の中でも、ちびさ加減を馬鹿にされたりしている。だが彼は表情一つ変えない。と言うか、映画全体を通じて終始無表情。これには僕も畏敬の念を抱いた。これはもう来るべき映画の中のアクションシーンに備えて集中してるとしか思えない。更に奴はマジで強い。11歳のとき、全中国武術大会で(ドラゴンボール?)総合優勝している。ただこの強さを見たいだけなら、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナを借りて見るだけで良い。マジで凄いから。そしてTSUTAYAには何故か大抵、置いてある。力で脅されたのだろうか?(←失礼。)だが彼はその演技力からハリウッドに出るべきではなかった。THE ONEを見てくれ。そこには想像を絶した世界が待っている。ちなみに彼のオマケみたいな感じでよく共演する俳優にドニー・イエン(BLADEには単品で出てる)と言う人が居る。この人なんか潔いもので、劇中一言も発せず、ただアクションシーンにだけ強敵として登場したりする。本当に黙々と仕事をこなす。ジェットよ、お前もそうすべきでは無かったのか。
また駆け足だが今日は、チャン・ツィイーちゃんは可愛いという結論で終わる事にする。

A Master Piece Of DNA

2005年6月12日
今朝の日経新聞の朝刊一面は面白かった。そんな訳で今日は雑感を書く日に決定。

まず珍しく「春秋」の文章がまとまっていた。そんなつまらない事を偉そうに書いてる自分が一番悲しい気もするが、春秋は本当に酷い時が多い。大抵書き出しは故事や何かの引用から始まる。話題になっている事件等をそれになぞらえ、尤もらしい解決法を示す。ところがその引用と話題の事件に繋がりが見られない場合が多々ある。すごく話題転換が無理やりなのだ。ところが今日は(内容は薄かったけど)珍しく繋がりがまともだった。こうしてくれるだけで安心して読めるのになあ…。

誤解されたくないのだが、酷いのは社説だけで、僕は記事の内容や書き方は日経が一番好きだ。変に悪者を作ろうとし過ぎない。少し前、話題になったNHKと朝日新聞のやり取りを見て疑問に思った人は沢山いるのではないだろうか。どっちが悪いのか分からない、そんな見方をしてる自分がいる。そんな事は本来問題ではないのに、マスコミが書くドラマをいつの間にかこっちも期待してしまっている。NHKのニュースに登場する朝日新聞社の映像は、とんでもない音楽と共に夕日を背負って出てきたりする。この映像を見るだけで、この会社に好意を抱くのは難しい。決定的に思い違わないのは、朝日に対して別の感情を予め持っているからだ。

何かの事件が起きた時、必ずと言って良いほど「悪者」あるいは「(どちらかが)悪者候補」が出てくる。JR福知山線の事故では運転手が死んでしまった為、社長が悪者になった。僕は、あの頬がすっかりこけて青白い顔になってしまった社長を見る度、最高責任者という立場の重さを想像して怖くなる。彼はその立場から夥しい人々の憎悪や激情の捌け口にならなければならない。同情しても仕方ないし、ましてや被害者の味わった苦しみを僕が知る由も無いことは確かなんだけれど。

人は情報を得て「判断」する。だからその判断材料になる物は、はっきりした物の方が判断も下し易い。どの時代にも悪玉と善玉が作られるのは(歴史的史観が作られるのも)その辺が起因してるだろう。よく言われる事で、情報が得やすくなった現在の社会では判断しなければならない事も多く、より既成の「納得が行く」情報に人は流れ易くなっている、つまり自らの判断(と呼ばれるもの)を下すのは簡単になるどころか、難しくなっているという事がある。そして大抵の人はそう言われてしまうと、正しい情報を得たい、情報の取捨選択をしなければならない、何て思ってしまう。だが当事者や取材者でもない限り、リアルな情報は得難いし、一面的な真実を知る事すら難しいわけである。そうなるとこれはもう、誤解したり勘違いしないように注意する事くらいしか出来ない。きっとそういうものなのだろう。

だから電車に乗ってたりして、週刊誌なんかの吊り広告に溢れる、疑惑・噂・憎悪を書き立てた記事の数々の見出しを見ると悲しくなってくる。勿論事実もあるのだろうが、ここから疑惑等の情報を得させて、一体何をさせたいのか、と言う気分になる。JR西日本の社員に対して、謂れの無い暴力を振るう人々がいると聞いた時も同じような気分になった。

ただ幻想に騙されたくなっている自分がいるのも確かな事で。テレビで誰かがネタを言う度、どこからともなく響く笑い声に何の違和感も感じず釣られてしまっている自分がいる。一番簡単に分かる馬鹿な例は、雑誌に出てるグラビアアイドルの写真記事を身近な女の子に見せた時の事だが(爆)。(ここでうっかりバレるが)男である自分は水着でポーズをとった写真を見ても、「可愛い。こんな子が身近にいれば」程度の感想だが、女の子に見せれば露骨に「有り得ない」である。何もそんなに無下に否定しなくてもと思うのだが、その子の写真を見る目は、かなり冷たかった。その子曰く、こう言うものが男に勘違いを起こさせるそうである。ちょっと位、夢を持ちたい、騙されたい…よね?
だが逆の立場では同様に、ジャニーズの男達の舞い・踊りを見て、気が違ったように叫んでる女の子を見て、確かにああいうものが勘違いを起こさせるのだろうと冷ややかに思えてくる。人間、可愛い勘違いを出来る内が花である。我ながら凄い結論だ。

大分話が外れまくって、誰もが忘れていた日経の一面の話に戻るのだが。
「日米欧、人民元改革促す」
この辺りは妥当だろう。アメリカが先陣切って言い出した頃は、中国がどれくらい暴れ回って反対するのか見ものだと思ったが、これだけ各国が足並み揃えて言ってきたら、大人しく言う事を聞くしかないだろう。全然関係無く腹いせに反日運動でも起こしてくるか、とか少し思ったが、それもさすがに無いだろう。

「容器包装材 企業も収集負担」
これは学校のゼミのテーマとも少し被って、個人的に大事な記事だった。自治体のゴミ処理費用は税金からも支払われている訳だから、現在、容器包装材のリサイクルでも地方自治体が分別収集費を全額負担をしている。だが、収集形態や処理は各地方自治体によって違う為、ペットボトルの分別回収をしていない自治体も出たりしていた。容器包装リサイクル法は特定事業者(主にメーカー)に容器包装廃棄物の再資源化を義務付けているが、一番金がかかる部分=分別回収、の費用負担は自治体だったから、つまり始めから上手くいかない事は明らかなシステムだったわけで。これをしっかりリサイクルする為には消費者&メーカーに処理させるのがお金の問題で考えても妥当な線なのだが、こうなってくるとメーカーとしては価格転嫁をせざるを得ない。つまりペットボトルは処理費用込みでこれから170円です、とかそういう事にしなければならなくなる訳だ。
そうなると我ら日本国民は、消費税が1%でも上がったら政治家を縊り殺してやるという気概を持ちつつ、福祉制度はしっかりやれ、なんて平気で言えちゃう仲間達だから、大激怒。メーカーはそんな面倒くさい事は嫌だから先回って大反対と、こういうシナリオである。でも制度化されてしまえば、何でも何とかなるもんである。せいぜい収集費負担は三割だ、値上がりするかどうかも分からないけど、やるなら皆で負担しよう。それがゼリー工場の意見。

「アルコール・ガソリン併用車 トヨタが開発着手」
日本ではE3何ていう取り決めがあって(ゲームショーじゃないよ)再生可能燃料の仕様が規制されてるが、ブラジルの仲間達はそんなの全く気にしない。よってサトウキビから作られるアルコールでも何でも、要するに車さえ走ればOK。だからトヨタ、中南米向けにフレックス燃料車作る。その車、地球に優しい。と、こういう話である。実は京都市内の公用車は天ぷら油を混ぜた燃料で走っているが、公用車が走り抜けた後は天ぷらの匂いが漂っている。猫が車の後をつけるなんて話も実際にあったらしい。いやね、僕はこういう話大好きなんだよ。環境に優しそうな天ぷらの匂いがぷんぷんしてくるじゃないか。それ位我慢しろってんだ。

「働くということ2005」
トヨタ式の「カイゼン」運動を取り入れた地方自治体が各部署で、どんどん効率化に成功してる。変われ、公務員って、そんな話。またトヨタかよ!そのうち日の丸の旗の真ん中にトヨタのロゴが入るかもしれない、何て思う今日この頃。くそう、すげえな。
ごめん、駆け足だけど、今日はそんな所で。
いまさらW杯アジア予選、日本対北朝鮮の試合の感想など。

見ていて上手いと感じたのは、試合の組み立て、素晴らしいコントロール力を持ったキックが出来る小笠原選手、素晴らしい体格を備え、かつ仕事がきっちりこなせる中澤選手。で、次点がFWとしてのゴールに向かう能力が高く見えた大黒選手(オフサイドトラップに引っ掛かり過ぎな気もしたが、最終的には仕事に繋げていた)辺り。後は凄く際立ったプレーをする選手はいないのかな、と思って見ていた。中田浩二選手、加地選手辺りはファンには申し訳ないが、微妙なプレーを連発していた気がした。関係ないが、福西選手はスラムダンクに出てきた大阪代表(だった気がする)のエースキラーみたいなプレーだった気がした。マニアックでゴメン。要するにファールで相手を潰す作戦を取りまくってた気がしたんだ。

ところが、後で専門家の批評を見ていると中田浩二選手なんかは、三都主選手より守備的な面で際立っていたとか、結構肯定的な意見があったりして、やはり自分は素人目の判断だな、と反省。聞けば、芝のコンディションは悪く、気温も尋常じゃなかったみたいだし、稲本選手辺りがやけにダルそうにしてたのもその辺りが絡んでいたのかもしれない。でも最近ちょっと格好悪い、中田ヒデ選手位の勝利への執念を各選手が見せてくれた方が、勝手に応援してるこっちとしては盛り上がるのにな、とは思った。でも選手からしたら掌をコロコロ返しながら応援するファンに、大人しく応援してろ、と言いたいかも知れないが。

そして。全然試合と関係ない所に着目してしまうのが、蒲田のゼリー工場であり、かつ一番気になった部分は…
柳沢選手が点を取った後に起こった日本サポーターのコール
「やな〜ぎさ〜わっ、ちゃちゃっちゃちゃっちゃ!」
(※「な」と「さ」にアクセント。)
である。
これは本当に不思議だった。例えば阪神にいる下柳選手が、素晴らしいピッチングをしたとしても、決してファンは
「しも〜やな〜ぎっ、ちゃちゃ(以下略)」
とはならない。
いや、あるいは僕の見ていない所でそんなコールが起きているのかも知れないが、少なくとも僕は、この「やな〜ぎさ〜わっ」は独特のコールだと思ったのだ。

大黒選手が点を取った場合のコールは
「おおぐろ!ちゃちゃちゃちゃ!おおぐろ!…」
である。つまり、「ちゃちゃちゃ」の部分は、名前をコールするリズムと同じリズムで鳴らされている訳だ。これが
「やなぎさわ!ちゃ×5!やなぎさわ!…」だと、リズムが断然悪くなる。4拍子は取れるが、5拍子は取り難い。だから必然、「やな〜ぎさ〜わっ、ちゃちゃっちゃちゃっちゃ」の2・1・2拍子に分割される訳だ。こうした拍子取りの工夫は応援団の方々の中では当たり前のように行われているのだろうか。
サッカーファンと野球ファンの応援のコールには違いがある、と言うような書き方をしてしまったが、必ずしもそうではなく(主に阪神しか知らない訳だが…)
「あかほし!ちゃちゃちゃちゃ!あかほし!…」
何かは、大黒コールとなんら変わりない。
ただ野球の場合は文化が成熟してるからか、サッカーほど常にプレーにスピード感が溢れていない為か、TPOに応じたコールが多々あるようで、清原選手が打つ前などは、
「き〜よ〜は〜ら〜、ど〜んど〜んど〜んど〜ん…」
と期待感を膨らませるようなコールが起こる。これが打つと「きよはら!ちゃ×4」になったりするのだろうか。

馬鹿な話はまだまだ続く。「このコールが取るリズムと言うのは、言葉の持つ力をより引き出すに違いない。」そう考えたゼリー工場の妄想は膨らむ。例えば食べ物一つ要求するにしても、このコールを使えば結果は変わってくる(断言)。ちくわを要求する場合を考えてみよう。どんなにちくわが食べたくなったとしても、
「ちくわ!ちくわ!ちくわ!…」
では動物のおねだりと一緒である。ここに人間の持つ知恵を加味すると、ちくわは3文字であるわけだから、3文字の選手のコールを例に考えれば良い訳である。代表例として、イチロー選手に対して大リーグで行われているコールを思い出してみよう。
「I・CHI・RO!I・CHI・RO!…」
なるほど、三文字を区切ってそれぞれにアクセントをおいて発音すれば良い訳である。
「ち・く・わ!ち・く・わ!…」
一見簡単なこの一工夫で、この訴求力の高さ。これには思わず飲み屋の親父も、ちくわを冷蔵庫から取り出してくるに違いない(←迷惑なだけか)。
同様にかまぼこを要求する場合は、大黒コールを使うだけで良い。
「かまぼこ!ちゃちゃちゃちゃ!かまぼこ!…」
この際、恥ずかしからずに、自ら力強く拍子を取る事をお勧めする。お母さんも思わずかまぼこを今夜のメニューに取り入れてしまうはずだ。
ささみカツを要求する事を考慮した場合、賢いモボ諸君なら既にお気付きの様に、柳沢コールを考えれば良い訳であるが…
「ささ〜みカ〜ツっ、ちゃちゃっちゃちゃっちゃ!…」
…何か違和感がないだろうか。柳沢の場合、「やな〜ぎさ〜わっ」で真ん中に濁音(「ぎ」)が入るため、全体の音感は引き締まって聞こえるが、「ささみカツ」には濁音がない。この場合、音感を引き締めるために敢えてスタッカートをふんだんに導入する事で問題は解決する。
「ささっみカ〜ツっ、ちゃちゃっちゃちゃっちゃ!」
どうだろうか。これには思わず食堂のおばちゃんも、ささみカツを揚げ始めてしまうはずである。
このようにコールを巧みに応用する事で、あなたの生活がより充実したものになっていく事は間違いない。
…馬鹿な話は差し置いても、上手い話し方の人には独特の話し方のリズムがあったりするから、ちょっと考えてみると面白いかもしれない。

話の締めくくりも関係ない所に飛び火するが、W杯中継の合間に流れていたTVCMは非常に良く出来た「作品」と言える物があった。一つは、アディダスのF50+のCMである。剣の舞の盛り上がりにあわせて、ボールを競り合う選手の数が増えていき、途中CISSE何かは怪我をして運ばれたりしている(笑)。余談だがアディダスHPで見た彼のインタビューで、彼は最も尊敬する選手にZIDANNEの名前を挙げている。今期奮っていないフランスを考える際、どうしてもZIDANNNEが抜けてしまった事を考えてしまうのはおそらく万人に共通の事だろう。それだけあの選手は偉大だったのだ。CMの終盤には各国のトップ選手がボールを競り合う背後で旗が振りかざされ、丁度ドラクロアの民衆を導く自由の女神を正面から捉えたような構図の画が拡がり、ワールドカップを象徴的に捉えた芸術的な映像になる。勝利へと導かれるのは誰か、革命(絵の題材はフランス革命)をドイツで起こそう、と言う粋な演出に違いあるまい。本当に良く出来たCMだ。途中出てくるスターウォーズシリーズのチューバッカの子供みたいなキャラクターも良い味出してる。キャラクター好きの自分としては何か心がうきうきする。ドラクロアの絵の通り、自由の女神を出演させるとNIKEになってしまうから、アディダスとしては当然出せない訳であるが(笑)。

もう一つは、アディダスの芸術的なCMには及ばないが、ApeosのCMである。内容はともかく、出てる俳優が最高。「乱」と「帝都物語」と「HANA-BI」の競演である。嶋田久作氏については色々思い入れがあるので、これはまた後日書く。本日はここまで。
オッケ〜ィ!就活完全終了だよぅ!
いきなり年齢がバレちゃうけど、赤裸々GO!GO!GO!
僕が就活を始めたのは1月頃からだから、もやもやしてた時期も含めれば、半年近くもしてた事になるのか。なげぇ!たまんなく長かったよ。
なんでこんなに長引いたかというと、すごく諦め悪い性格なんですね、僕。それで最初行っても良いなぁ、と思えた精密部品メーカーから内定を貰ってからもずっと就活を続けた訳なんです。
もし万一、何かの検索でこのページにアクセスしてきた就活中の人が居たらいけないので、ここからはほんの少しだけ真面目っぽくしてみる。

2005年度の企業採用活動の時期は、お上からのお達しも手伝ってか、去年より遅めの傾向があったように思える(主観で恐縮だが)。表面上、優良企業は軒並み4月以降に内定を出す、というルールを守っていた。ただ金融・インフラ系は2月〜3月ころからリクルーターを通じて学生と接触していた所がほとんどだった。彼らは何を勘違いしたのか、採用活動を四月からにしろと言ってるのに、四月に内定を出すならそれで文句なかろう、と思っているようだった。無論、この時点でロックなマスコミ系や、某大手アパレル服飾とかはお達しなどどこ吹く風で、思いっきり採用活動を展開している。だから、これ系希望の人は遅くとも冬くらいから準備しといたほうが良い。んで、メーカー大手なんかは4月頃から採用活動を本格的にする所が多かった。だからメーカー志望の人で現在も就活してる人は結構居るみたいだ。ただし、メーカーは4月からの採用活動で、4月末〜5月頃には内定を出す所が多かった。これも体感だが一つあたまの企業にかかる選考期間は短かった気がする。選考期間を短縮してくれる事は、本当はありがたい事何だが参考までに…。

今年ははっきり言って、就職活動をする学生にとっては美味しい年度だったに違いない。上記のように選考期間は業種によってバラバラ。数多くの企業を回れる上に、どの企業も2007年問題なんかを見越してか凄い求人だった。中には求人数を割った所もあったらしい(そんな事態に陥る位なら締め切るなよ、とか思ったが)。お上のお達しは図らずも業種間の風土の違いを引き立たせ、学生に与えられる就業の機会を増やし、ニート問題の解決に貢献したに違いない(笑)。どうせなら業種ごとに採用活動出来る時期をバラバラにするルールを定めてみてはどうか。絶対損はしませんぜ、旦那。んな事はいいか。

就活を続けていくと本当にコロコロ自分の考えが変わる。だからこれから就活する人は(よく言われることだが)最初は業種を絞らずに見て回るのも一つの手だと思う。マージャンは決め打ちしないほうが得だろ?僕は少なくともそう感じたから、初めに内定を貰った時点で就活を辞めてしまった人は損をしてると思った。もちろん、そこが一番やりたい事がある企業に変わりないんだったら、そこに就職を決めれば良いだけの話しだし、他を回って損をする訳じゃない。こんな事を人事の採用担当の方に見つかったらドヤされそうだが。人生は誰も保障してくれない。自分だけがそれを作って行けるんだから、ここは少しでもワガママになった方が利口だと思う。これだけ有利な状況も(何年続くか知らないが、少子化だし暫くは大丈夫だろう)そう来ないだろう。特に初めに内定貰ってすぐ就活辞める人の中には、大学で遊びすぎて体力が無くなってる上、やたらナイーブで傷つき易いから、しんどくなって就活を早く終わらせたいだけ、という人が多かった気がする。ここが踏ん張りどきなのに、どうして離職率が高いか考えた事あるのかな。何の恨みも無いのにそんな酷い事をこっそり考えてしまう。まあ、いいや、それは僕の考え。

んで、長くなってきたんで、具体的な就活戦記はまた気が向いた後日に書く事にして、結果だけ報告。
僕は上に述べたような考えの持ち主だから、だらだら就活を続けて結局4社の内定を貰った。上に書いた事と少し反するように思えるかも知れないけど、巷に人が言うように50社、とかそんな数は受けてない。エントリーシートを出したのは20社もいかないだろうし、面接を受けさせて貰って、その後も選考を進めたのは8社くらいだ。逆にそんなに受けてどうするんだ、と思う。業種は最初から絞らないほうがいいし、沢山のものを見たほうが良いに決まってる。ただ自分の価値基準になる条件は絞って、本当に行きたい企業を探して受けないと意味がない。50社、60社回った、って言ってた友人もいたけど、やたら疲弊してたし何だか心に余裕が無くて、企業研究も十分出来ず落ちまくってるような印象を受けた。
話を戻すが、通った企業の内、2社が本当に悩むラインで、ちょっと調子に乗るが、内1社は現時点で日本の製造業におけるダントツNo.1の企業だった。んで悩みまくったんだが、その回答が出た、という事で僕の就活は終わりを告げた。
後は、、、卒業だけだ(爆)。

書初め。

2005年6月6日
ついに書いちゃったよ。
こいつが巷で流行のブログってやつなのかい?僕はブロガーかい?君はロブスターかい?ああ、いいよ、そんな事はどうでも良い事だったよね。特にロブスター、あれは本当に海老の風上にも置けないような奴だからね。
ついでに言っとくとここは不定期更新で、モボの嗜みとして、演劇や映画、音楽、その他なんだって書いていく場所にするつもりなんだ。時には神河を救済してしまうかも知れないし、あるいはポルノ小説を載せてしまうかもしれない。でもそんな事はどうだって良い。
要するにここは、頭の良くない僕がストリップショーを繰り広げて見せる所なんだ。だから、賢い君は、賢明な諸君は、必要な情報を見つけたら、とっととインターネットのスイッチを切って、街にでも遊びに行くがよろしい。何しろこんな吹き溜まりに居てたって何にもいい事はありゃしないんだから。
それでも街に出るのが億劫で、どうしても人生を棒に振る時間が欲しくなってしまったら、敢えてここを覗いて見るのもいいかも知れない。きっとどれだけ自分が無駄な事をしてるかよく分かるよ。そしてそんな事にも頓着しない君にはきっと、どうしようもなく無駄な時間が過ごせる場所になるに違いない。

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